画像: 【黒田勇樹のハイパーメディア鑑賞記】「スマホを落としただけなのに」を観て想う「映画の中のIT」

【黒田勇樹のハイパーメディア鑑賞記】「スマホを落としただけなのに」を観て想う「映画の中のIT」

「リング」の中田秀夫監督、北川景子主演の現代ミステリー映画「スマホを落としただけなのに」を観た。
表題の通り、北川景子さんと田中圭さん演じる絵に描いた様なラブラブカップルが“スマホを落としただけなのに”、それをきっかけに様々な事件に巻き込まれて行く...というお話。
昨今(僕近辺、主に昭和の)映画界では“電話の進化によってドラマが作りづらくなった”という嘆きが、多く聞こえる。
ミステリーであれば、昔は大きな図書館に行って何十年も前の新聞や雑誌の記事からようやくたどり着いた過去の事件にも、今やスマホやパソコンがあれば簡単にアクセスできるから、刑事や探偵役に「真実にたどり着く為の苦労」をさせることが出来ない。
留守電が出来た当初だって、「待ち合わせのすれ違い」というラブコメが随分描きづらくなったし、1人1台電話を持っているので「姉の長電話にやきもきする」とか「恋人からの電話にお母さんが勝手に出ちゃう」なんてシーンも作りづらい。
勿論、他の方法で困難やすれ違いを作ることは現代の状況でも可能なので、数百年後の人類から見れば、この文章も「矢文が無くなったから、決闘の申し込みが描きづらくなった」と変わらない内容なのかもしれないが...
本当の問題は“その進歩の速度”にあると思う。
何かが流行したころには新しい技術が追っかけで出てくるので、普及し「皆が共感できる場面」がアイデアとして脚本に落とし込まれ、映画にして公開されるまでのラグが生じ、画面の中のITは、どれも“一昔前のIT”になってしまっていることが多いのだ。
今作は、凄く頑張っていたと思う。SNSの乗っ取り、フィッシングメールやランサムウェアといった犯人からの攻撃や、追跡アプリや音声認識を使ったピンチの攻略など、現在進行形の技術による攻防が繰り広げられ「おお!」と思う場面が沢山あった。
が、しかしそれでも、「スマホでなければならないわけではない、昔からどこかで見たことのある犯人像」「事件解決の決め手は、刑事の勘」と、「スマホの豆知識多めの、よくあるミステリー」止まりに見えてしまったのが勿体ない。
登場人物の中に1人だけガラケーを使う人物が出てくるのだが、僕は彼を登場時から「ガラケー刑事(デカ)」と呼び、「きっと彼だけが唯一ガラケーだから犯人の攻撃に会わないで事件を解決する場面みたいなのが出てくるんだ!」と、ことある毎に心の中で「ガラケー刑事!頑張れ、ガラケー刑事!」と叫んでいたが、そんな場面は無いままエンドロールは最後まで流れていった。
制作側の気持ちで考えると、「スマホ時代が生み出した犯人」や「ガラケー刑事が活躍する場面」を考えて企画書に落とし込んで、お金集めて、脚本書いて撮影して映画にして...と、その頃にはまた新しい技術が流行していて「時代遅れのIT」になってしまう気がして、手をつけられないので難しい注文だとは思うが、このタイトルならそこまで見たかった気もする。
ミステリーとしてもホラーとしても良質だが、監督の代表作「リング」の様な驚愕する場面やグロい場面は少な目。前半“スマホを落とすことの恐ろしさ”が非常によく描けていたので、これから携帯を持つ子供たちや、スマホに慣れていないお年寄りにこそ是非観て頂きたい作品だ。

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