画像: 青木真也「この試合は僕の物語の一つでしかない」

青木真也「この試合は僕の物語の一つでしかない」

日本のメジャーイベントが行き詰まり、多くの選手がUFCに目を向け始めた時、青木はシンガポールを拠点としアジアで精力的にイベントを行っていたONEに2013年から戦いの場を移した。そんなこともあって総合格闘技の試合を日本でするのは2015年の年末の桜庭和志戦以来、3年3カ月ぶりとなる。そこに何か特別な思いはあるのだろうか。
「特にはないです。“日本でやることが特別だ”と言ったら海外でやっていることが嘘にならないですか? だって取り組み方が変わるということじゃないですか。そうなると僕は嘘だと思うから、特に変わらないですよね」
2月にDDTとマッスルのリングに上がった。タイトル戦の1カ月半前にプロレスのリングに上がるというのは他の総合格闘家ではなかなか考えられないこと。これはプロレスも自分の中で大事にしている「やるべきこと」だったから?
「好きだからやっているだけ。やるべきというより、好きだから」
プロレスをやることで格闘技にフィードバックされることは?
「それは次元が1個上の話になりますよね。僕は基本的に格闘技もプロレスも一緒だと思ってやっているので、1カ月半前だからどうという考え方はないです。そもそもみんな、格闘技とプロレスを別物だと思っているじゃないですか。だって、ケーフェイがあるから真剣勝負じゃないのか、ケーフェイがないから真剣勝負なのか。それって、バカとは言わないけど、すごいレベルの低い話だと思っているんです。結局、僕からすれば今の格闘技の選手がやっているのは真剣勝負ごっこ。MMAの中にも真剣勝負はあるし、プロレスの中にも真剣勝負はある。基本的に同じものだと思っているので、役立つも何も“同じでしょ”ということです。格闘技の選手がプロレスをバカにするし、プロレスの選手が格闘技をバカにする。それってすごい意味のないことですよね」
プロレスは昔から好きだった?
「はい、好きです。やれるものならずっとやりたかった。僕は今35歳になっちゃったんですけど、自分の残された時間の中で、どれだけ動けるか、どれだけやれるかという気持ちしか僕の中にはない。だから焦っている部分はあるかもしれない。どこまで動けるか分からないから。自分の可能性の伸びしろは全部やりきって終わりたいとは思っているので、それをやり切れずに終わってしまう恐怖は漠然とはありますよね。だから“やり切った”と納得して終わりたい」
納得する時ってあるのだろうか。“もっともっと”といろいろとやりたいことが出てきそう。
「でもやり切ったと思ったら、さっさと辞めたいです(笑)」
ツイッターなどで青木選手がいろいろなことを発信し出したのはプロレスを本格的に始めた時期から多くなったイメージなのだが。
「DREAMの時は言いたいことを言えなかったからあの頃のインタビューって全く意味がないんです。僕が喋っても僕の言葉は全く出ない。喋る意味、インタビューをする意味なんてないと思っていた。だから、僕の発言に制限をかけるものがなくなって、言いたいことを言えるようになったんじゃないですかね」
新著の『ストロング本能』に書いてあることは、もともと自分の中で思っていたことが年を取る、経験を重ねることでだんだん形になってきたという感じ?
「整理できた感はありますよね」
SNS上で活発に意見を交わしている人たちとの会話やプロレスをやることでどんどん整理が進んだところもある?
「どうなのかな~。まあ格闘技だけやっていても格闘技は強くならないですからね」
練習だけしていても、ということ?
「はい。格闘技だけやっていてもただのアスリートで何の価値もないと思っているので。格闘技だけやっていたら、やっぱり強くならないなって思う心からじゃないですかね」
今言う強さというのはリング上の勝ち負けの強さ以外のものも含めた、プロとしていくら稼げるかとか知名度とかも含めて?
「人間力みたいなものですかね、分かりやすく言うと」
それに関しては昔から気が付いていた?
「僕は“平等”というのが嫌い。平等じゃないことのほうが多いじゃないですか。判定だって何かの力が及ぶことはよくある。サッカーでも野球でも格闘技でもボクシングでも。だから別に平等であってほしいと思ったことがないんですよ。最終的に勝った奴が強いでしょ、と僕は思っている」
そう思うきっかけがあった? それとも試合を重ねていく中で?
「子供のころから思っていました。ジャッジって人がやるものだし、絶対に好かれているほうが勝つ。だから僕は“判定がおかしい”って言っている奴はバカだなと思っちゃうし“ホームタウンディシジョンだろう”って怒っている奴とかを見ると、“じゃあやんなきゃいいだろう”って思っちゃう。日本のボクシングって、海外に行ってタイトルマッチやります? ほとんど日本に連れてくるじゃないですか。連れてくるということは勝たせるためでしょ。その時点で平等じゃない。それで判定がおかしいとか言ってる奴ってバカなんじゃないの、としか思えないんですよね」
日本の格闘技界の選手とSNS上で意見をぶつけ合うこともしばしば。
「それなんかも結局、僕から言わせると“僕はこう思う”でいいじゃないですか」
以前、「このケンカがリングにつながればいい」といったことを言っていた。それをプロレス的な考え方というと語弊があるかもしれないが、格闘技界の中ではそういった考えは理解しにくいのでは?
「その競技しかやってない人たちですからね。僕から言わせると全員アマチュアなんです。本当に話にならないから、僕、格闘技の選手と喋るの嫌いなんですよね(笑)。だって1ミリも役に立たないし話が合わないんです」
それは最近? 昔から?
「昔から。もめたんだったら、それをリング上に持ち込めば仕事になるのに。例えばリング上でもめて口論になるじゃないですか。それって仕事だからやっているので、バックステージに入ったら別に“ハロー”でいいじゃないですか。それなのにバックステージに入っても“さっきのってなんだよ?”って言われると“いや、仕事にならないからやめてくれない”って感じになっちゃうんですよね(笑)」
そこが際立ってきたのがプロレス始めてからなのかなと思うんですが。
「そうですね。これでいいんだなって確信が持てたのかもしれないですね。でも最近のプロレスも変わってきている部分があるじゃないですか。みんな仲がいいし。それは僕がやりたいプロレスじゃないんですよね」
一番好きだったりやりたいと思うのはどの時期のどの団体のようなプロレス?
「90年代前半の新日本プロレス。猪木さんがあまりタッチしなくなってきて、長州さんが現場監督をやっていた時ですね。PRIDEに行くとか行かないっていっていた時期。その中でも僕が影響を受けたのはケンドー・カシン、金本浩二、大谷晋二郎、高岩竜一といったジュニアの闘い。僕にとって強さの象徴って、藤田和之でありカシンでしたから。だから、なんだろうな。今の格闘技の選手に金を払おうとは思わないんですよね。なんかただ格闘技が得意な人としか僕には思えない」
ドラマというか人間力が見えないといったこと?
「個性がなきゃ全く意味がないし、面白くもなんともない。何を見せたいのか、というものがないと “お前、なにやりたいの? 何見せたいの?”ってなっちゃいません?」
日本の格闘家にとって見せたいものというのは「強さ」ということなのでは?
「はい。でも“だったら別にオリンピックやってろよ”って思わないですか(笑)。“そう思っているんだったら好きにしろよ”って思っちゃう」
それは青木選手が強いから言えることなんじゃないかとも思うんですが...。
「でも僕、負けてますしね」
負けてはいますが、強さが損なわれる負け方ではない。
「もちろん、強いということは最低限じゃないですか。でも最低限あればいい」
プロならその最低限のことを見せたうえで、プラス何を見せるかが大事。それができずにどこがプロなのかと?
「とにかく勝負にこだわるからこそ勝敗は越えられる。勘違いする奴は“勝敗を越える試合”っていうんだけど、勝敗を越えようとして越えたものに価値なんて全くないですよ。勝敗を越えるというのは、勝敗にこだわるから勝敗を越えるんです。勝敗に徹底的にこだわるから勝敗を越えるんであって、最初から“勝敗を越えます”なんて言ってるのは茶番ですからね」
その考えは?
「いつからという意識はないですけど、自分の経験則ですよね」
勝つことによってついてくるものもある。それはお金であったり名誉であったり。
「チャンピオンになってタイトル戦をやったとしても、それはちょっと小銭を稼ぐだけ。ファイトマネーってファイトマネーでしかない。別にそこで自分に価値とか厚みといったものが付くわけではない。となると“ファイトマネーをもらったから何?”って思っちゃう」
ファイトマネーは現在の青木真也の試合に対する対価であって、青木真也という人間自身の価値を表すわけではない?
「ファイトマネーがいくらということよりも、それ以上に自分に価値がつくことをしたいなって思っています」
では今回のエドゥアルド・フォラヤンとのタイトル戦に関しても、そんなに強い意識はない?
「別にベルトが欲しくてやってないですから」
では今回のタイトル戦は青木真也にとってどういう意味がある?
「ないんじゃないですか?」
位置づけは?
「僕の物語の一つです」
ではどういう物語を?
「僕は格闘技の選手を特別な仕事とは思っていないんです。だから今35歳なんですが、試合やそれ以外のところでも同世代で働く人たちが抱えている悩みだったり戦っているものと同じようなものが出るはず。僕が見せたいのは結局そういうこと。自分の前に立ちふさがるものといかに戦っていくか、みたいな多くの人が抱え込んでいるものを格闘技を通じて見せたいということです」
確かに同世代のサラリーマンも日々いろいろ戦っています。
「この業界だって訳分かんない既得権に座っている奴がいっぱいいるじゃないですか。そういう奴は席を空けろと思うし、もうどんどん若い人たちが上がってきたほうがいいと思うし、力もあると思う。実際、僕はそういうものと戦っているつもりなので、そういったものを見せられたらいいかなと思いますよね」
本の中でも若者に対する期待といったことがいくつか語られている。ただ格闘技メディアは一度縮小した影響もあってか、なかなか若い編集者や記者が入りにくい状況になってもいる。
「若い人が来ないですね」
そもそも媒体の数も減りましたから。伝える側が弱くなると、ジャンルが強くてもなかなか世間には伝わらない。
「まさにそう。でも僕、あんまりあてにしてないんですよ。そもそも格闘技メディアって存在していない。それは相撲とか他のスポーツもそうなんですけど、格闘技メディアってメディアとして機能していないですよね? 自分の意見を言わないもん。相撲のメディアと一緒ですよね」
どうしてこうなっているかはよく分からない。
「それは原稿チェックと取材拒否が原因じゃないですか。それが団体とメディアのバランスを完全に崩したんだと思っています。取材拒否というものがあると、書きたいものが書けないじゃないですか。それが年々引き継がれて、できたのが今だと思うんですよね」
そういうものを打破できるのは若い世代だろうと?
「別に“みんな好きなこと言えよ”と思っちゃう。それは選手もメディアもです。なんか“いちいち気にすんなよ”って思うし。みんなが同じ方向を向くなんてことはないと思うんです。個々それぞれに好き嫌いがあって良くないですか?」
でも今は世間でも言いたいことを言う人は少ないかも。
「固いですよね。格闘技に関わらずなんですけど、表現することに善悪とか持ち込むじゃないですか。それはホントにつまんねえなって思っています、個人的には。もちろん政治とか差別とかはNGだと思いますよ」
格闘技の試合自体は別の要素の入り込む余地はないと思うが、試合が決まってからゴングが鳴るまでと試合終了のゴングが鳴ってから2人がリングを降りて観客の前から消えるまで、というのはプロとして試合を盛り上げる、意味のあるものにするための重要な時間になる。
「過去にいろいろ言われたこともありますが、僕は表現の場だと思うから、僕がやったことを最低だとかどうこう言われても...。そう思うんだったら別にもういいやって感じです。でもそういう世界観でやってくれと言われていたので、“それでいて叩くなよな”とは思いますけどね(笑)」
長島“自演乙”雄一郎とのミックスマッチの1Rもかなり叩かれましたが、あれもルール上は何の問題もない。
「青木vs長島は最高の試合ですよね。やっぱあれに勝るものはないっすよ」
1Rと2Rで違うルールのミックスルールにするなら、どんな手段を使っても2Rにいかないとダメですよね。
「いや、ダメでしょう。それに俺から言わせるとミックスルールというのは、もうやったってダメなんですよ。だってあの試合を越えられないもの。青木vs長島以上のものを作れる人はいない。世間に何かを投げかけるものにはならないですよね、絶対」
ミックスルール自体が世間に向けてのアピール性が強いものでもあったし。
「はい。本当にいい試合だと思いますよ。いまだに語られるし。なんか僕に気を使ってあれに触らない人もいるけど。それもちょっと分かんないです。俺は関係ない。むしろ自分の中でベストバウトですらあるので」
会場からもブーイングが出た。
「もうちょっとひどいことを言うと、分かんない人を相手にしちゃダメなんですよね。要はスポーツライクに見ている人は僕のお客さんじゃない。僕のお客さんじゃない人を相手にしてもダメ。だってそういうライト層の人は移り気だし、愛とか教養とかがないから、その時にいいと思った人のところにいく浮動票なわけです。そういう人たちを相手にしていてもいいものは作れない。自分の作りたいものを作るには、割とちゃんとしている自分のお客さんを相手にしたほうがいいですよね」
最近のいろいろな行動はすべてそこに結び付く?
「でも実は格闘技ファンってどうでもいいと思っているんです(笑)」
本の中では「僕には格闘家しかなかった」と書かれている。
「はい。だってみんな普通に9時に会社に行って、5時に帰るということができるじゃないですか。僕はそれができなかった。人とうまくできなかったし、決められたことをできなかったんでこの格闘技をやっているんですよね。だから一般の人より偉いなんて全く思っていない。むしろ“俺たち、できなかったもんな”としか思っていないです(笑)。みんながスポーツ選手に品行方正なものを求めるのは分かるんですけど、そもそも、特に格闘技というのは社会からはじかれた人たちがひっかかる最後のセーフティーネットだと僕は思っています。他の芸事をやる人も全部そうですよね。だからスポーツ選手がなにかしたとか、芸能人が不倫した、とか僕は全く悪いとは思わない」
この日は練習前に取材。ONEでは特別な計量システムを取っていることもあってか、通常からベストな体重をキープしているよう。
「もう1階級下げろという人もいますが、体重を落としてまで格闘技に入り込んでも豊かじゃない。辛いことも多いじゃないですか。だから、下げるのは無駄だと思っています。格闘技でいうと、年を取ってから体重を下げるとダメですね。あと僕はプロレスラーになりたかったので大きくなりたかった。体が小さかったから格闘技に来たタイプなので“でかけりゃでかいほどいいじゃん”って思っているんです」
今回のインタビューを読んで「うるせぇバカ」と思う人もいるかもしれないし、逆にその言葉に納得して見方を変える人もいるかもしれない。そのどちらの意見も飲み込んだまま青木の物語は流れて行く。今回のフォラヤン戦については本人の考えは別にして、メーンである以上、観客の期待は大きい。もちろん純粋に青木のテクニックを楽しむのもいい。しかし試合前の青木の言動をチェックし、会場に足を運び、試合後に2人が去るまでの所作なども見たうえでじっくりかみしめるというもう一つの楽しみ方もある試合。せっかくなのでそういったところもちょっとだけ意識して3月31日を迎えるのも一興だ。
(TOKYO HEADLINE・本吉英人)

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